生活の記録

中年の危機中。永遠のモラトリアム。日々模索中。栄養は酒。人生のテーマは自由。友達は本とラジオとテレビ。日常の記録を残したい。

冬(また星野源の話題多目)

昔のミクシー日記とか読んで(若い)やっぱ文章で残さないと記憶って残らないなと思い強迫的に記録せねば、と思う今日この頃、というか今。

日々忙しくて充実してる気がするけど果たして忙しい=充実してるのか?
テレアポしてる最中は脳内が暇で五分起きにヤフーニュース見ているが(星野源ニュースがいっぱい出てきて時代の変化を感じる。。。)。

学校行って新しいこと学んだり人に会うことは職業訓練に通ってた無職の日々から比べると充実してる感はあるが。学校の合間にバイトしてるので公園へ行くこともめっきりなく季節を味わえていない。無職期間に暇をもて余して散歩したりhuluで映画見てた日々が虚しかったがある意味充実してた気もする。
まあでも複数の話し相手がいる生活は良いものでこれが人生最後の学生生活かもしれず二年になったら修士論文作成であんまり学校にも行かないだろうかレポートとかは相変わらず苦痛だが残り少ない後期をかみしめたい。

そういえば最近寝覚めの絶望感がない。眠すぎて感覚がないだけかもしれないが。
この数ヶ月自分の思考の中で認知行動療法をやっており (正しくは紙に書き出すのだが面倒なので頭の中でやっている) その効果の表れかもしれない。

逃げ恥を見ている。初めの方は星野源に集中しすぎてドラマのストーリー入ってこなくて面白いから見てるのか義務感で見てるのかわからず。やっと前回から内容込みで心から面白いと思えてきた。逃げ恥論書きたいけど長くなるので略。
しかしこのブームすごいな。星野源のライブもう一生行けないのではなかろうか。。。

話は戻って自分は極度のネガティブ思考だが認知行動療法の勉強初めてから一つの出来事に対して解釈は一つでなくいっぱいあってどれか一つ正しいのではなく可能性として自分の中でいっぱいとっておく、という考え方があってこれをやっとくと大分気持ちが楽になった(当社比)。楽しく生きるための知恵と工夫。←この言葉は今月のダヴィンチの星野源(また!)の エッセイの言葉なんだけど、認知行動療法でもよく知恵と工夫という言葉が使われていてよい言葉だなあと思う。人間に生まれてきて良かったというか。
日々に流されるままに生活してれば人生は辛いこととが多いし退屈で虚しいが面白く感じて生きていけるコツがあるような気がしてきたような、でもまた嫌なことあったら打ちのめされるんだろうけど。
あと人と関わる楽しさとか。まだまだ人苦手だが。。。
これからどう変わっていくだろうか。

おちもなく終わり