生活の記録

中年の危機中。永遠のモラトリアム。日々模索中。栄養は酒。人生のテーマは自由。友達は本とラジオとテレビ。日常の記録を残したい。

死神の浮力

昨日下北沢で「死神の浮力」という伊坂幸太郎原作の舞台を見に行った。
ふかわりょうが出るというので。

プロの演劇を見たことはほぼないが演劇のイメージ的には派手なリアクション、わかりやすい起承転結というものを抱いていたが、「死神の浮力」は難しいストーリーだった。
私は本はかなり読む方だが視覚から内容を理解する能力が低いのか映画などだと単純なストーリーじゃないとストーリーを追えなくなってしまう。
なので最近は映画を観るときは前もってあらすじを読んでおく。
「死神の浮力」はだいたいの流れは把握できたが途中追いつけなくてぼんやりしてしまう時もあった。
前もって原作の小説を読んでおくべきだった。



そんな中で印象に残ったことなど。。。
登場人物の一人、山野辺の父は自分の死の恐怖に怯えていたが(具体的に死が差し迫っているわけではないがいずれ死は必ず訪れ全ては無になるという恐怖)、ある日息子の寝顔を見ていて、この子もいずれ死ぬということに気づき恐怖で家庭を捨てて出ていったというエピソード。


死の恐怖ってつまり無の恐怖なんだよな。。。


数年前、お父さんが手術した後、元気になって明るい気持ちになった時、同時に、でもいずれ死ぬ時がくるんだよな。。。という気持ちがよぎった。


自分が手術した時も具合の悪さが消えて食欲も出てきた時に多幸感とともに、でもいずれ死ぬという思いがよぎった。
将来もう回復の見込みがない病気になるかもしれないし寝たきりになるかもしれないし。
今回は治ることがわかっている病気だったから良かったけど死を待つばかりになった時、どういう心境になるんだろう。。。