生活の記録

中年の危機中。永遠のモラトリアム。日々模索中。栄養は酒。人生のテーマは自由。友達は本とラジオとテレビ。日常の記録を残したい。

成長

塾(大学院の)の先生との会話で、人の考え方は変わるという話の中で、先生が「成長」という言葉を使っていて違和感を感じた。
私は時間の流れで人の考えが変わるのは「変化」だと思っている。
より良くなったとかより悪くなったとかの価値判断は関係ない。
たまたま出会った環境の中で考えが変化するだけだと思っている。

で、進化論も同じようにある環境の中で適応した形に変化することだと捉えていたが。

ふと不思議に思ったのが、「便利」ということについて。
明らかに時代とともに生活は便利になっている。
できないことができるようになっている、ということがより良くなっているということを意味するとすると、世の中はより良くなっている。


成長って何???

夏の記録 続

昨日は星野源のライブで武道館に行ってきた。

※こういう芸能系の日記って自分の興味ない人だとつまらんけどごかんべんを。。。


自分の中ではこの夏最大のイベント。

いつも通り10時頃起床して勉強。
下痢は避けたかったのでお昼はトーストを食べた(前日のお昼はインスタントラーメンを食べたらお腹下した)。
あと偏頭痛が来ないようにビタミンB2の錠剤を飲んだ。

午後からまた勉強。

うわーもうすぐライブだー!みたいな興奮はなくいつも通り勉強の苦痛と慢性的憂鬱感の中だらだら勉強。

16時ぐらいに気分が落ち着かなくなり勉強をやめて外出。
早く着きすぎてもやることはないんだけど家にいても落ち着かないので。

午前中は涼しくて夏感がない天気だったが晴れてきた。

武道館のトイレは激コミになるので早稲田駅で途中下車し、トイレをすませた。駅中なのにきれいなトイレだった。

九段下で降りると服装でライブ客だとわかる人たちがたくさんいた。
Tシャツ、スカート、リュック、スニーカーの若い子達。

武道館の周りをふらふらしてまだ時間があったから隣の公園を散策してベンチに座って池を見て時間をつぶした。
夕方で晴れてて涼しくて気持ち良かった。
この公園もライブ客の人たちがいたが隣のベンチではOLらしき人が読書してた。

18時近くなったので再び武道館へ。
列に並ぶとこんなに星野源ファンがいるのかと不思議な気分になる。
同じような服装の人が大群でいるので気持ち悪い。。。が自分も大群の中の一人。


席についた。
二階のかなり上だった。
右隣は女の子二人組で左隣は女の子一人だった。
ライブの開演まで待ってる時間が好きなんだけどさすがに早く来すぎたなー、と思った。
オペラグラスのセッティングなど。。。
会社帰りのサラリーマン客もちらほら。

ざわめきの中、突然真っ暗になり(この瞬間が興奮する)登場。

ライブ中の詳細はうまく書く筆力がないので短めに。。。


ライブとかで泣いてる人って陶酔してるみたいで気持ち悪いと思っていたが二曲目で泣いた。。。
感動して泣く、というより聴いてたら涙が流れてた、みたいな。
泣くと思ってなかったのでハンカチの用意もなく鼻水が。。。
左隣の人も泣いてる風だった。

今回は弾き語りだったのでまったり系かと思っていたがノリのいい曲ではバンドの時より激しくて楽しかった。
瞬間的な感情なので比べづらいが多分人生の中で五位以内の楽しさだった。


私はライブは心からその世界を味わいたいので一人で行く(そもそも一緒に行く友達いないが)のだが、星野源がこのライブは一対一だと思っている、というようなことを言ってて、友達と来ても人は一人だよね、と思った。当たり前だが。

学生時代の朝礼とかでもそうだったけど人が大量にいると、一人の人間というより心のないロボットみたいに見えて気持ち悪かったが、武道館の席からの眺めもそれに近いというか、北朝鮮マスゲームみたいな、点々の人々。。。

そういう風景(自分視点)で一対一って感覚がもてるってすごい(というかわからない)。
自分がステージに立つ側だったら金正日みたいに万能感に酔うかな(想像)。


などという感じで終了。
武道館が暑くて汗だくで駅まで。

西友で夜ご飯買って帰宅。
アメトーク見ながら酒飲んで神経を沈める。
日常に戻る儀式のようなもの。

記憶を楽しみたくて寝るのがもったいなかったけど
ラジオを聴きながら就寝。



終わり

夏の記録メモ

せっかくの無職の夏なので忘れないように記録メモ。


●アルバイトの面接に行った。
かなり本気で受けたが返事がまだこない。。。



●生まれてはじめて隅田川花火大会に行った。
人混みが嫌だったのでネットで人が少ない場所を探して行ったが人がすごかった。
あと暑かった。
花火はすごかった。
毎年見ると感動が薄れそうなので来年はたぶん行かない。


●前職場の人と飲みに行った
今回は辞めたときの店の人たちとだったので店の様子をいろいろ聞いた。辞めてから遠くの世界になっていたが聞いてたら一気に当時の感覚が蘇ってきた。相変わらずバタバタな感じ。懐かしくて戻りたくなった。
が、多分記憶が美化されているからそう思うだけ。
この日記には当時のつらい気持ちを書いているので騙されまい。
というのも自分が(というか人一般がそうなのかもしれないが)過去の記憶が美化されて、昔に戻りたい、と思いがちな経験があったので、それを踏まえて働いてるときに未来の自分に向けて、仕事中のつらい気持ちを書いておいたのだ。



●プールに行った
冷たい水が気持ちよかった。
25メートルのクロールが泳げた。



●読書

ポースケ

ポースケ


久々にもう一つの世界を生きるような読書をした。
昼間に現実の世界でふと小説の世界を思い出して自由な気持ちになる、ような小説はたまに出会える。



●偏頭痛の病院に行った
いまだに合う薬がなくロキソニンでしのいでいていい加減どうにかならんかとネットで病院調べて、良さそうだったので電車乗って行ったが、結果無駄足だった。検査で4700円とられた。。。



●暑い
前の日記でそんなに暑くないみたいなこと書いたが、やっぱり暑い。
家から駅までが遠いのでその道のりがつらい。
特に朝の暑さが苦手。
朝から暑いのと元気なのは嫌いだ。


●職業訓練校はあと一ヶ月を切った





夏は暑くてつらいから記憶が鮮明に残るってふかわがブログか何かで言ってって、そうだなあ、と思った。

夏がきた。

暑い、といっても家と職業訓練校の往復でクーラー利かしてるので暑い、暑いという感じではない。

先週か先々週の本格的に暑くなった第一日目の朝、家から駅までの自転車の道のりが、耐えられない!と思うほど暑く感じた。
夏ヤバイと思った。
でも耐えられないくらい暑いと感じたのはその時だけであとは慣れたのかそうでもない。


数年前職場のクーラーが建物の構造上行き渡らなくて常に生ぬるい空気だったときの夏はやばかった。
毎日が苦行。

暑いですねー、って挨拶がわりに言うけどあの時だったら暑さについて一時間は語れた。
というぐらい暑かった。


夏の夕方は一年の中で一番情緒があると思う。
働いてるときは夕方外にいれなかったけど無職になってからは夕方スーパーに買い物に出かける。
夕方空を見れるってすごい贅沢だなあと思う。
こんなきれいな時間に室内にいるのはもったいない、と働いてるときは思っていた。



人間暇に耐えられないから活動するとはよく言ったもので、暇だと動きたくなる。
働いてるときは、よくもまあ、毎日事件が起こる(主に嫌なことだけど)もんだと思っていたが今は何も起こらない。
うまい比喩が浮かばないが昔は毎日体の周りを蜂がぶんぶんとんでいたが今はたまーに蚊が飛んでくるだけ、みたいな。


動かないと何も起こらない(名言)。



この前休みだったのでずっと家でこもって勉強してて夕方スーパーいったら人がいて、自分も人の中で生きてる、って感じがしてうれしかった。


あとこの前、元職場の人と飲みに行って、誰々が~って話してて、ああ、今は幻のようだけどそんなにたくさんの人たちと関わってきたんだなー、と不思議な気持ちになった。


まだしばらく失業保険出るがたまたまとても働きたい求人情報を見つけたのであさって面接に行く。
前からやってみたいと思っていた職業。
しかも高給(当社比)。
もし受かったらうれしいなあ。

未来

あまりにも平和すぎて(なにも無さすぎて)また日記があいてしまった。

36歳にして(そういえばプロフィールは34歳のままになってる。。。)許させるのかというほどのモラトリアム。


職業訓練校には通ってるが、「学生」感はない。
パソコンの知識と実技を習っているが、午前中みっちりIT知識についてやってると、この知識いかせるほどの高度な仕事につくことは一生あるまい、とか思ってしまう。
そして高校の時の三時間目の古文の授業並の退屈さと眠気。
この「高校の時の三時間目の古文の授業」というのはオードリーの若林がラジオで言っていた表現で、若林は毎日が高校の時の三時間目の古文の授業みたいなんだそう。
あとよく人は、大晦日に一年あっという間、とかもう○○歳になった、とか言うけど若林はやっと一年たった、とかまだ36歳という感覚らしい。
しかも充実してて長く感じるのではなく、つらかったり許せない記憶が鮮明に残っているかららしい。
自分も相当ネガティブ思考だけど若林には負けた。。。


話それたが。
高校の時の退屈な授業の気怠さは迷う余地もなくそこにいなければならないからじっと耐えてたけど、36歳無職で退屈な授業を受けていると、今この瞬間の疑念とと今までの人生の後悔とこれからの人生の不安で頭をかきむしりたくなるのでなるべく先生の話とテキストに集中しようする。


ぶつくさ考えてないで大学院の試験が九月にあるので勉強に本腰入れればいいのだがこっちの方も何とも集中しきれず。
だらだらと勉強中。


一年後の今ごろは大学院行ってるのか、落ちて派遣OLやってるのか、専業主婦になってるのか(これはないな)わからんなあ。

続 仕事を辞めて

仕事を辞めて思ったことの続き。


一日は時間がたくさんある。


一日の予定のない日はもちろん、六月から職業訓練で16時まで授業だがそれでも家に着くのは17時。

本読んでテレビ見てスマホ見てラジオも聴ける。


働いてる頃は遠距離通勤だったこともあってご飯食べながらテレビ見たらもう寝る時間、という感じだった。


16時に用事が終わってあとは帰るだけ、という状態はなかなか心細い。
いまだによく見る夢で、学校が終わって放課後遊び相手が誰もいなくて暇、というもので目が覚めて仕事で忙しいという現実にほっとする、というものがある。


16時に家に帰る毎日って小学生以来で、小学生のときだったら誰かと遊ぶか家に家族がいた郷愁的になる時間。
今は大人なのでスーパーで買い物してコンビニで立ち読みして帰る。
一日働いた疲労感もなくまだなんかやろうと思えばやれるような手持ちぶたさな感じ。



あと一日の時間感覚とは別の話だが、世の中土日休みように動いている。
何かイベントに参加したいと思ったときに平日の夜と土日が空いていれば大抵参加できる。
演劇とかライブとか習い事とか。


前職は不定期休みの早番遅番シフトだったので予定がたてづらく参加したくても参加できないことがたくさんあった。
今さら、あの時あれを習っていればとか、行けていればとか悔やまれる。。。
20代半ばから30代半ばって最後のモラトリアム期間だったと思う。
その貴重な時期を仕事で過ごしてしまったと。。。




病気をして思ったことの一つに、人生一度きり、ということ。
いつ死ぬかわからない。
漠然と思っているのではなく意識的に心に止めないと忘れてしまう。
今は時間はあるけどお金がないという困難はあるが、やりたいことは今やろう(林修?)、と強く思っている。

人間関係とか

仕事を辞めて約2ヶ月ちょいたった。
仕事をしてないことの良い面、悪い面、
仕事をしていることの良い面悪い面、いろいろ思うところがある。


何事も終わってから気づくことは多い。
今の無職生活も終わってから気づくことがいろいろあるだろう。
これから小出しに仕事をしていた時のふり返りや無職であることについて書いていきたい。


今日は今欲しいものについて。

仲間が欲しいなー、と切実に思う。
友達ではなく仲間。
一緒に仕事してた人たちは仲間だったんだなー、と思う。
ある目的を共同作業でやり遂げるという点において。


私は人との距離を取るタイプなのでプライベートではほぼ人間関係がない。
そんな自分でも仕事をしていると日々人間関係にもまれる。
職場には仕事でなければ一生関わりたくないほど嫌な人がいることもある。
でも人とのか関わりのなかにいると、人間らしくいられる。
感情が動く。


今は平坦。
生きてることにげんなりするようなストレスもない代わりに心踊るほどうれしいこともない。
属してないことは自由だけど寂しい。




どっちがいいとも悪いとも言えないけどね。


今日買った本。