生活の記録

中年の危機中。永遠のモラトリアム。日々模索中。栄養は酒。人生のテーマは自由。友達は本とラジオとテレビ。日常の記録を残したい。

愛の不時着とか

外界に感動したのは1日のみで一瞬でいつもの日々に戻った。
といっても減った仕事もあるのでコロナ前より休日多め。ヨガもプールも行ってないので家にいる時間は多い。
図書館やってるだけでだいぶましだが。

外に出て思ったことはやはり家にこもっていると陰鬱な気持ちがたまっていて、人と話すと気分が軽くなるということ。
社交的ではないのでいつも人といたい訳ではないが程よく人と話してる方が精神が安定する。
仕事もしてる方が生きてる感覚がある。

うやむやに元の生活に戻り何もなかったような忘れそうな日々だったがまた東京は嫌な悪寒が。
仕事してれば忙しさにまぎれて社会はの怒りもうやむやにできるがそれでは以前の元の木阿弥。
怒ったり不安になるのも疲れたし国とか都の人がアホすぎて嫌になる。
からといって目をつぶろうとは思わない。
職場の人に政治の話するのはさぐりさぐりだけど職種や年代的にも経済的には恵まれてる人が多いので、どうせ痛くもかゆくもないだろうと被害妄想に陥ったり。

引きこもり期に映画を毎日見る習慣ができて今も時間ある時は見ている。
特に台湾映画と韓国映画にはまった。
その流れで今更愛の不時着を見始めて噂の通りはまった。
どうせ鬱々として暇しかなかった緊急事態宣言中に見ればよかったのにNetflixに入るのも面倒くさく今になった次第。
こんなに面白いならコロナ鬱中に見ればよかった。。。
見てる間はコロナのこと忘れられたはず。
でも見終わった後、コロナの現実に打ちのめされたかもしれない。

ライブの後の虚しさは度々これにも書いていたが、愛の不時着を見終わった後の虚しさも似ていて、寂しさと切なさと虚無感に包まれて、仕事中は愛の不時着のことを忘れられるので精神が安定するというよくわからない状態。