生活の記録

中年の危機中。永遠のモラトリアム。日々模索中。栄養は酒。人生のテーマは自由。友達は本とラジオとテレビ。日常の記録を残したい。

仕事と休日とか

仕事を休んでから約1ヶ月ちょっと。
いよいよ仕事復帰が近づいてきた。

仕事休む前は暇で発狂するんじゃないかと思っていたがいざ休み始めるとぐうたらな毎日が快適すぎてもう社会に出たくない。

大学を終わってから今までバイトも含めると常にどこかしらで働いていた。
働くのが好きなわけではなく、強迫観念的に何か生産的なことをしていないと虚しくなったり、このままでいいのかと不安に襲われるので働くことで一応実のある時間を過ごしたという気分を得ていた。

なので休みの日があまり好きではなく家に1日いると気が滅入ってしょうがないので必ずスーパーども何でもいいから1日一回は出かけるようにしていた。
休みの日がたいして好きではないくせに夜になれば、あー明日仕事だ。。。と憂鬱が襲ってくる。

ただ仕事が死ぬほど嫌というわけでもなくそれなりに行くまでは憂鬱だが着いてしまえば案外普通に働けた。

なのでもう何年前からかわからないが慢性的に気分が暗い、この先も楽しいことがないような気分、何をしても虚しい感じ、他人が楽しそうに見えてうらやましい気持ちは環境が原因ではなく自分の生まれつきの性格だと諦めていた。

しかし毎日が夏休みの生活が始まってみると、子供の時以来の憂鬱がない感覚が蘇ってきた。
好きな時間に寝て起きて、嫌いな人と会わなくてよい、時間にせかされることがない、緊張することがない毎日。
好きなことだけやれる、時間は湯水のようにある毎日。
社会から今までの人生で一番取り残された生活を送っているのに虚しさも焦りもない。

散歩すると風は気持ちよく花はきれい、特に夕暮れ時の景色は輝いてる。
ご飯はおいしいしぐっすり眠れる。


毎日気分が暗かったのは仕事が原因だということをいまさら発見した。
本来は一人で家にこもって過ごすのが好きで、外出て無数の人と接するのは嫌い。
外出ると充実感を得られるというのは幻想だった。そうしないとだめという思い込みだった。


そしてこの夢みたいな生活の終わりが見えてきた。
3月26日から仕事復帰。
社会に入っていくのが怖い。

3月31日の休みは死守できたのでいいとも最終回に立ち会える。
最後の1ヶ月毎日いいともを見れている。
運命は信じてないけどこのタイミングで手術して最後のいいともを見れる生活を送れていることには運命を感じる。