生活の記録

中年の危機中。永遠のモラトリアム。日々模索中。栄養は酒。人生のテーマは自由。友達は本とラジオとテレビ。日常の記録を残したい。

1月19日(日)

晴れ。
11時起床。サンジャポ
洗濯。掃除。
オンラインで勉強。
図書館。買い物。
兄弟二人がキャベツの剥いだ部分の葉を
店員からもらっていて夕食用かとギョッとしたが
うさぎ用だった。。。
一週間分の鍋を作った(朝、もしくは
昼ご飯用)。
夜ご飯は上記の鍋と総菜肉。
ザノンフィクション(農家の嫁)を見て
読書。

夏の記録

また久々に書く。
書くことが習慣化できないものだ。。。



前回の日記を読み返したら、日々の憂いがなく快調だと。
確かに日々の憂いはないが、その分人生に対する焦燥感にかられている気が。目の前に悩みがない分。
なにしろ以前は日々の生活だけであくせくして疲労困憊していたから。
そういうのが比較的少なくなった分、よりモラトリアム的(老後的?)もやもやが増えた気が。
普通この年代って子育てで手一杯で自分のことを考える暇もないと思う。と思うと余計虚しい。



非常に申し遅れたが、まだ平成の頃に結婚はした。しかし生活の変化はほとんど、というか何もなく、結婚制度自体よいものという思想ではないため、つまり結婚をめでたいこととも思っていないため(我ながら面倒臭すぎる思考)、周りの人に結婚したと積極的には言っておらずもはや言うタイミングも逃した。気まづい。。。仕事上でも前から働いていたところは旧姓で通し、結婚後に働いた職場では新姓を使っている。
時々書き間違えそうになり、もはや自分が何者かわからない。(もはやが多い)
結婚したから人生観が変わるとかそういうことも全くない。結婚していいことは、世間に対して通りがよいこと(結婚しないの?と聞かれないし)。結婚してないことに対する圧力(自分が一方的に感じてるだけかもしれないが)を思い出したら怒りがわいてきた笑



あわせて、断捨離してきれいな家に住んだらどれほど人生観が変わりポジティブな人間になるかと長年夢見ていたが、実際そうなってみると確かに快適だが人生観は変わらない。
きれいな家だって慣れれば何も思わない。それが日常。
むしろきれいすぎて味気ないような。。。
(こういう思考が汚部屋への第一歩?)


さらに資格を取ってやりがいのある仕事に就けば何者かになれるという幻想をもっていたが、そんなことはなかった。
どんな肩書きをもとうが自分は自分でしかない。。。


以上中年の主張(ぼやき)でした。


○夏の記録
去年ほどではないが暑かった。
10月現在も暑い。
7月は引っ越し。
9月は謎の胃もたれ、軽く腰痛(加齢?)。
基本的に引っ越しで心身症的になった以外は体調はよかった。
とにかく健康が一番。
さすがにそろそろ秋かな。。。

春と初夏(令和)

いまさらだがはてなのプロフィールの文章を変えたいが変え方がわからない。いろいろクリックしてみたがたどり着けず。年齢が今より5歳若いし、肩書も現在と全く違う・・・。

しかしどっから変更してよいかわからないのでとりあえずこのままで。

 

前回は2月3月にライブに行った興奮で久々に日記を書き。

その後、あっさりと平常心になり日常に戻った。

あの虚しさ味わうならもうライブ行かない方がいい、とも思うが虚しさも含めてのライブか。むしろ虚しくないのはライブじゃないぐらいか。

3月にオードリーのライブに行き現在までの間に、春日はプロポーズし、浮気し、籍を入れた。月日の流れ、人生は変わっていくことを感じた。春日の人生だけど。

春日に翻弄された4月であった。

 

他に自分がしたことは・・・。

手帳で振り返ったところ2月末に星野源のライブでドームに行ったのが最大のイベントだったが地味に仕事探しをしていた。履歴書、職務経歴書書いたり(すごく嫌いな作業)。面接行ったり。人生で何度目であろうか。見知らぬ街に行き、見知らぬ人に会い、とりつくろって受け答えする徒労感。終わった後の虚脱感。二つ落ちて、謎の縁で一つの所で働くことになった。といってもすでに掛け持ちしまくっていて、さらに足す形で。二つ落ちた時は久々に何かに落ちるという経験だったので、ダメージをくらった。落ちるってこんな感じだったな、と。なにしろ去年は二つの資格をあっさり()合格するというイージー人生だったので。やはり定期的にダメージくらわないとだめな人生なのか。ネガティブ思考なので、絶望という気持ちだったが、縁があることろに決まる、という知人の励ましの通り(こういう話普段は信じないが)本当に縁あるところに決まった。そういうこともあるものだ。後づけかもしれないけど。



3月は仕事、3月末は花見で各公園へ。今年は開花が早かった。花見といっても、宴会の花見ではなく、本気で花を見る方の花見。

4月も花見。今年は雨や寒さで開花時期が長かった。曇り空の下の桜をよく見た。しかしやはり桜は晴れた空の下が映える。近所で見た桜が圧巻であった。ここに越して8年?なぜ今まで気づかなかったのか。もしくは見てたけど記憶に残っていなかったのか。今年の春は暇なこともあってやたら桜を見た。あと暇なので小説をよく読んだ。

4月の新たな年度の始まり感が苦手なのだが今年は自分的にはたいした変化がなかったので落ち着いた感じでよかった。今後も4月に大きな変化がないようにしたい(未来の自分へのメモ)



5月はGWも非日常感で嫌い、あと風邪ひいたり具合わるくなりがちなのだが、今年は時給が上がるのでいっぱい働いた。これも日常を保ててよかった。

あと近所の体育館でヨガを始めた。これがすごくよい。ずっとやろうやろうと思ってなんとなくめんどくさく、言い訳し始めなかったが、「とりあえずやってみる。」この精神が大事だとあらためて思った。人に言うのは簡単だが。しかしこういう近所の体育館でやってるものに参加するといよいよ自分もおばさんだなと感じる。おばさんの中ではまだ若いが。勤務先によって自分がかなり歳だったり、逆に若かったり。話題にも気をつかう。自分も若いころ気をつかわれていたんだな。そして今も気を使われているのか。難しいお年頃だ。

あとプール通い。これも楽しい。仕事の後の水泳は気持ちよい。

近年まれにみないくらい憂いもなく体も元気で、この後人生や体に不具合があった時、生きていけるか心配だが、とりあえず今は日々割と快調だ。

 

 

 

ライブの記録

文章を書かなくても過ごせるほどに平穏無事な日々。
時々書かなくちゃと思ったが書かずにいられないほどの衝動もなく。。。出来事としてはいろいろあったが。
ストレスがない日々とはこんな感じなのか。労働者になってから初めてかもしれない。
毎日充実してる、楽しい!という感覚はないが。寂しい、虚しい、という感覚も薄まったような。。。
そこそこやりたい仕事について、金の余裕もあって、時間もあって、もはや老後だろうか。。。
しかし目覚めた時の何ともいえない憂鬱感は相変わらず。何かの本で読んだが、目覚のまどろんでるときは理性が働いてないので感情が強く出るとか何とか。。。動物的な不安感?なのだろうか。。。

とかいつまでもダラダラ書けそうだが本題に。
一週間で2つライブに行ってきたので記録。
そしてわざわざ久々に書き記すということは感情が動いたから。他になにかないのかと虚しくなるが。何もないわけではないが文章に起こすのが面倒(言い訳)。


木曜日
星野源の東京ドームライブへ。
東京ドームでやると知ったときは、ドームのライブなんてジャニーズのイメージ、行ってもどうせ豆粒くらいしか見えない、音もよく聞こえないと思い気がのらなかったが、やっぱり行きたいと何となく気が変わる。
ラインチケットの買い方がわからず悪戦苦闘。
カスタマーセンターに問い合わせたり徒労。
結局スマホが古いため買えず。
(これきっかけで死にかけてたスマホ買い換えたので結果よかったが)。
後、一般発売であっさり当選。
悲しいことにライブにも慣れてしまったので昔のようなワクワク感もなく当日。
雨。どんより憂鬱に起床。
楽しいイベントがあっても憂鬱な自分って何なんだ。。。と思った。
そして初めてのところに行く不安感。
(ドームは中学の時修学旅行で野球見に行ったけど)
トイレは大丈夫か、めまいはしないか、腹壊さないかとか。
相変わらず何事も無心で楽しめない性格。
いつも通りダラダラして予約してた歯医者へ。
早めに終わったが、時間配分わからずそのままドームへ向かう。
一本でつくので楽。さすが東京。
水道橋駅で人の流れについてったらドームに着いた。思いのほか早くついてしまい散策する体力もないので早々と席へ。
思ったより狭い。舞台見える。
しかし開演まで二時間ある。
時間を持て余し、めまいの薬飲んだので眠気。
そして始まった。
ライブは始まる直前、シーンとなって、真っ暗になって、バッと始まるのが興奮するんだけどドームはひっきりなしに人が出入りしてて興覚めだった。。。
ライブは楽しかった。が、やはり遠い。豆粒。オペラグラスで何とか。
あとやはり自分のライブ慣れを感じてしまった。悲しい。もうあれほどの興奮は味わえないのか。
帰宅。
酒飲んでアメトーク
日常へ。
そして次の日。
虚しい。
ライブの余韻。
千葉に用事あり電車。
外の景色も寂しい。切ない。
夕暮れに「くせのうた」が重なる。
この感覚、つらい。久々に。
夜はYouTube星野源を見てやりすごす。


土曜日
仕事。
いつも通り暇。
暇だけど星野源ロスは薄まった模様。
仕事が暇すぎて別の意味で虚しかったが。
仕事後、いつもの店でいつものそばを食べ公園で時間をつぶす。
晴れてるので気持ちがいい。
トイレ対策して武道館へ。
職場から近い。
さすが東京。
九段下から人混みについていき武道館へ。
客層が思ったより若い。
ちなみに星野源の客層は一時期、心が折れるほど若くておしゃれな子たちだったが先日は中年、高齢者もいて安心した。
逆にオードリーは若い男が多く、中年の女としては居づらかった。あんまりおしゃれじゃない人たちが多かったのが救い(失礼)。
でも若さがうらやましい。
今なら何だってできるだろう。
と若者たちの後ろ姿を見て思った。
近くの公園をふらつき会場へ。
武道館は何度か来ことあるしドームほど緊張なし。
チケットは激戦だったようだが何となく申し込んだらあっさり取れてしかも良席。
ばっちり見える。
ドームの後だと武道館狭い!
昔この距離で星野源見たのか(涙)。
ドームの時よりは安定した精神で待機。
そして始まった。
ちゃんと始まる前の緊張感もありで。
ライブは面白かった。
オードリーは生きていた(当たり前)。
オペラグラスで表情も手に取るようにわかる。
帰りの電車は途中までライブ客ばかりで面白かった。この人たちみんなラジオリスナーなのかと(ラジオイベントのライブだった)
昔は星野源のライブの行き帰りもそういう感動あったけど今は星野源ファンはどこにでもいるので感動しなくなった。
星野源後ほどではないがうっすらライブ後の虚しさ感じつつ一眠りし起きてラジオのオープニング聞きつつ寝る。

今日はそこまで虚しくない感じで休日。
掃除、雑用など。
明日から普通に仕事。
日常に戻れることにほっとする。


ところでなぜライブの後は虚しくなるのか。
1非日常から日常への落差。
2どんなに好きでも向こうは自分の存在すら一生認識することはない。
3輝いてるアーティストと凡人の自分の落差。

他にあるかな?
でも子供の時も地元の祭りの後こういう感覚になったような。。。
もうあの時間は戻ってこない、みたいな。
諸行無常感?



などと考えた数日だった。

GW

パソコンから書こうかなと思ったら回線重すぎてスマホから。
このスマホも買って四年ぐらい?
かなり死にかけでいつ切れるかわからない中書いている。

ここ数ヶ月励んでいることは断捨離。
忙しいことを言い訳に放置し崩壊していたもろもろに着手。
服とか紙類とかはわりとあっさり捨てられたが、最大の難関、本に着手。
うちの本棚はイ○アで買ったやつだが買って割りとすぐに棚板が本の重みで傾き、本が落ちる→他の棚も傾く→本が落ちるの繰り返しで直す気にもなれず、それでも本を買えば無理やり隙間に詰めていたので地獄のような本棚になっていた。
この不良品本棚を買ったことは人生50番以内の後悔に入る。
震度3ぐらいの地震でも本が落ちてくる有り様でさすがに震度6とかきたら命の危険も感じるので、これを機に着手。
もう読まないであろう本を出し、棚を組み直し必要な本を入れるという作業。
もう読まないかどうか、この判断が悩ましすぎる。。。
また読まない気はするが買ったときの記憶とか思い出すと捨てがたく。。。
そんなことを繰り返し格闘したGW。
あと組み直したけどやっぱりIK○Aの本棚は壊れかけていてほんとこれは不良品。

まだ完成ではないけどだいたいいらない本は出したので古本屋を呼んで買い取ってもらった。
一応数千円にはなった。
本屋で働いてたときは深く考えず適当に休憩中とか本を買っていたがもうそういうことはしない。。。
図書館とかどうしても欲しければアマゾンで古書でも買えるし。
厳選したつもりだがまだまだ大量の本があって、引っ越しの時どうしようかと。。。
その時はもっとばっさり捨てたいが。



話は変わって3月中旬から体調不良。
謎のめまい。
近所の病院でもらった薬をのべば治まるが。
如来る車酔いのような気持ち悪さ。
しかし職場の人とかにきくとだいたいみんなめまいに苦しんだことあるようで。
やはり歳なのだろうか。。。
それとは別にどうにも歩いたり立ったりしてると息切れがする。買い物もめんどくさい。
これは歳か、心臓か。
心臓だったら嫌だなあ。。。
まあさっさと病院行けよという話しか。

億劫なことを片付けつつ、また億劫なことが日々積もっていく。。。

冬~春の記録

なぜかスマホからはてなにログインできなくなり放置していた。。。調べてやり直せば入れたんだろうけどどうにも億劫で・・・。

今日は重い腰をあげてパソコンから入ってみた。

なので今まで愛読していた人々のブログも数カ月読めておらず・・・。数カ月ぶりに読むのも怖いような・・・。自分の変わらなさとは反対に人が変化してると焦るお年頃なので(と心の狭さ)。

日記にでも記録してないとここ数カ月なにしてたか途切れ途切れの記憶しかないものだ。日々の感情、考えた事、生活の営み、いずれ無になると思うと怖い。無の恐怖の強迫観念。

月別に簡単な記録。

 

・12月

とにかく修論が終わった開放感、だったかな?と思ったけど手帳見返したら修論提出後はバイト詰め込んでた・・・。11月は病気でバイト行けなかったのでそれはそれで楽しかったような気もする(うろ覚え)・・・。

入院してるときは働いてる人すごく輝いて見えてうらやましかったけど日常に戻ると働くことが当たり前すぎていちいち感動もしなくなるが・・・。

年末は実家に帰省。去年は風邪で帰省できなかったので2年ぶり。

弟の赤ちゃんと初めて会った。もちろんかわいいが接し方がわからない。わからないなりに頑張った。しかしやはりかわいい。でもテンション低い大人って子供からしたらきっと怖いよね・・・。ごめん。

あとはやることないのでひたすら東京のツタヤで借りたDVDやNHKオンデマンドで72時間見てた。あと親が撮りだめててるバラエティをダラダラ。ツタヤで借りた映画ははずれが多く、バラエティも飽き(フジとテレ東見れないし)、暇すぎて発狂しそうになり帰京。

 

・1月

障害年金申請の準備しつつバイトしたり、あとは口頭試問。

口頭試問終わってやっと修論終わった開放感がきたような気がする。今にして思えばなんであんなに修論に追い詰められてたのか・・・。喉元すぎれば熱さ忘れるとはこのことだ。

ちょっと趣味など初めて見ようと思いカルチャーセンター行く余裕も出てきた。

相変わらずあとはバイトを詰める。

 

・2月

前半は障害年金の申請でゴタゴタしてまた気持ちが沈んだり(結局何かあるとすぐ心が折れる笑)、あとは仕事の研修参加したり、バイトしたり、趣味始めようとしたり、たまに学校行ったり。もう授業はないので学校ないっていいなあ、と思った。

あと断捨離に着手。

・3月

バイトしたり、そうじしたり、買い物したり、映画みたり。

数年ぶりの心の安泰。日々の雑務や家事ができる時間がある生活は素晴らしい。世の中の人は忙しさの合間にささっとこなすのだろうが私はこれができない。キャパが少なすぎて。映画を見に行く心の余裕。やっと数年ぶりに人間らしさを取り戻せたような・・・。

卒業式、謝恩会などは感慨よりめんどくささが上回ったが何とか消化。

中旬からは謎のめまいや花粉症など。

体調不良は滅入ったがそれ以外はのんきに過ごした。

 

・4月

今までの人生の反省を活かし今後の人生は忙しくない生活をしたいと。なので今年度は仕事は詰めないように組んだ。

しかし新しい仕事も始まるので憂鬱といえば憂鬱。あと微妙に時々めまい。でもスケジュールはつめてないので心の余裕はある。本を読む時間もある。録画した番組みる時間もある。

ただ暇すぎると虚しさが入り込んでくるので程よい加減を模索していく予定。