生活の記録

中年の危機中。永遠のモラトリアム。日々模索中。栄養は酒。人生のテーマは自由。友達は本とラジオとテレビ。日常の記録を残したい。

手術日続き

手術終了後、医者や看護師がこのあと打ち上げ行ける?と話してたのが印象的だった。
私の手術の打ち上げですか?と心でつっこむ(←そんなわけはない)
エレベーターで入院部屋へ。
そこになぜか両親と日にちを間違えて来てしまった友達という謎の組み合わせの三名がいた。
予定より時間かかり三時間かかったらしい。
ロビーで夕食。
全部食べれた。
手術時はつらかったが術後は断然今回が楽。
少し話して部屋でのんきにテレビ。
ああ今回は楽だなあ、とのんびりしてたら
麻酔が切れたらしく痛みがいきなりきた。
あわててナースコールで呼んでロキソニン投入。
てか術後痛くなるのわかってたのになぜ
食事前に出してくれなかったのか。。。
前の術後の強烈な痛み止もロキソニンだったけど市販されてるような薬って。。。
今回はロキソニンがまあまあ効いて落ち着いた。
9時就寝。
なんか寝つけずやっと寝れたと思ったら
点滴の入れ替えで起こされる。
再寝。
今度はロキソニンが切れて痛みで目覚める。
またナースコールでロキソニン投入。
中々寝つけず。
やっと寝れたと思ったら五時頃相部屋の人にとこに看護師が来て物音で目が覚める。
耳栓とアイマスクで再寝。
8時に朝ごはんで起こされる。
休めた気がしない。
よれよれのまま朝食。


続く

手術記録

●手術前日
前の日は昼に修論をやりつつ
夜猛烈に荷造りしたくないと思いながら
開始。
夜ご飯は冷たいそばととうふと
天ぷら。
最後の晩餐。
前の手術の時は手術前も酒をやめたが
今回はよいと言われたので普通に
酒。
荷造りは修論関係の荷物が終わってないが
嫌すぎるので当日の朝やることにした。

●手術当日
6時半起床
今回は前のに比べ軽いと言われていたし
同じ手術をした人のブログでもあんまり
大変そうじゃなかったのでそんなに重々しい
気持ちではなかった。
荷造り。
大量の本。
バス停で待ってると先に待ってた
おじさんがタクシー止めて一緒に
駅までおごってくれた。。。
ラッシュの中スーツケースとリュックで
平日朝から浮かれた旅行者のよう。

9時40分頃病院着。
前日から上京してる両親と合流。
入院部屋へ案内される。
二回目なので気楽と言えば気楽。
荷物を収納したりしてラウンジで待機。
何時から手術かはっきりせず暇なので修論に集中。
医者の前より全然簡単という言葉を信じ
緊張なし。
二時頃になると言われたが15時15分からとなった。
お迎えが来て車イスで手術室まで。
前はストレッチャー移動だった。
別に普通に歩いて行けるが。。。
手術室前まで来たら急に怖くなった。
死刑台のエレベーター
CDがかけられる手術部屋は使われてるとのことで
CDかけられない方の部屋で。
入室。
雰囲気怖すぎ。
手術台にステップ台で登って仰向け。
怖すぎ。
持ち込んだMP3の操作を助手(?)の人に説明。
主治医が、今日体調悪いので違う先生にやってもらう、と初対面の女医さん。。。
コンビニバイトのシフト交替かよ。

何の音楽?と聞かれて、星野源、と言ったら
うちの病院に星野源そっくりな医者いるよ、と。
ホームページでチェックしてたので写真で
似てるなあと思ってた。
一目みたい。
今日は?ときくと
いないとのこと。
残念。

でおもむろに造影剤の点滴。
痛い。
そして顔に台がおかれ布で覆われる。
前回は全身麻酔だったので記憶が途切れるが
恐怖心マックス。
ドラマでも顔を布で覆ってる手術見たことないし。
目の前が青い布。。。
看護師さんが手を握ってくれる。
そして局部麻酔の注射。
これが痛すぎて騒いでしまった。。。
その後も痛くはないが感覚が気持ち悪かったり
脈を早められて冷や汗かくし
いきなり右胸が痛くなるし地獄すぎた。
そして私が子供のようにいちいちわめくので
ずっと看護師さんの手を握って励まされ。。。


そろそろ終わるかな、というところで
痛みだしてまたさわいだら、
先生が、麻酔切れてきたかな、とつぶやく。
まじで怖い!
麻酔注射の追加。
痛い!
傷を縫って終了。
満身創痍で車イスに自力でのる。


続く。。。

日記

人間というものは病気になると日記を書きたくなったり過去を振り返りたくなるもの(byゲーテ)←嘘だけど

あいかわらず崖っぷちのような気持ちで修論を書き続ける。
何のために書いてるのかさっぱりわからない。
卒業のためににしてはストレスがでかすぎる。
文章かくのがこんなに苦行だとは。
なのにまた誰にも望まれてないのに文章を書いてる。
なんなんだ

去年から今年の年末年始、風邪で寝込んでラジオを垂れ流してたときにいまだに覚えている衝撃的だった言葉。
「卒論を書いていて大変です。」というリスナーからのハガキ(メール?)にアナウンサーが「でも卒論って、読むの教授の一人か二人ぐらいですよね。」。。。
この言葉がいまだに忘れられない。
人生で一番本気だして死ぬ気で書いて、読むのはせいぜい一人、多くても三人。
このブログの読者だってよにんはいるよね?(希望的観測)
誰のために何のために書いてるのか迷走中。
小学一年の時、作文を教室にはられて以来、文章には少し自信があったのだがそんなわずかな自尊心もあの世に飛んどくぐらい苦行。
一文字一文字が後世のために木に彫り記すぐらい重い。
三人しか読まんのに。。。

と文章書くことに関しては昨今恐怖症に近いぐらいだが、過去の自分の日記を読んでみると、わりと面白い。
こんなこと考えたのかとかこんなことあったのかとか。
出来事とか環境的にはいろいろ変化があったなあと。
心はあんまり変わってない、相変わらずだが。
一年後にこの日記を読む頃にはどうなってるだろうか。。。

秋晴れ

近年まれにみる引きこもり期間。
最後に社会に労働で接触したのが先週の土曜バイト。
今週の月曜に学校の図書館。大量の本を返却&貸し出しでキャリーバックで移動。
人に会って話す気になれなかったので図書館のみによってそそくさと帰る。
昼に家を出て15時頃家に帰るという感覚が不思議な感じ。
労働してる頃だったら明るい時間に変えれるだけで幸せだったが、学生になると手持ちぶさたな感じで、テレアポで時間を埋めていた。
そんなテレアポもしばし行ってない。。。

昨日は一日中家に引きこもり修論
今日も修論
ページ数のことで疑問があり、ラインで同級生にでも聞けばよいがどうにも億劫で教務課へ電話。
枚数上はすでにほぼ達していることがわかった。
通常の精神状態であればそこで安心するものだが、もう無理だろうとなかば留年の方に気持ちがいっていたので、半端に間に合う可能性が高くなると、なんとしても、絶対という気持ちが出てきてしまう。
そこから案の定というか焦りと完璧主義がでてきてしまい(普段はいいかげん)集中。
だんだん気持ちが暗くなり吐き気がしてきたので気分転換に近所を散歩。

世の中は秋だった。。。
数年前の手術のあとリハビリをかねて毎日散歩した道。
とか懐古的になる。
やたら老人と親子が目につく。
死んだような気持ちでフラフラ歩いた。
帰宅。
再度パソコンへ。
集中してたらまたどんどん気持ちが暗くなり吐き気。
この世に自分しかいないような感覚。
心配になって、心臓、吐き気、でスマホで検索したら心筋梗塞とか。
いや、それはないなと冷静になる。
明らかに精神の問題。
修論で書いてるからわかるよ。
鬱的思考のループ。
気が狂いそうなので修論をやめて夜ごはんを買いに
コンビニで。
こういう日に限って年に一度(?)の棚卸しで品薄。
普段の店員のおばちゃんやアジア人はおらず本部から派遣されたような店員がレジに。
気分がすさんだ。。。

テレビを見ながらごはん。
ごはんというかうどん。
うどんぐらいしか胃に入る気がしない。
という割には食べて○んで(一応医者の許可済)テレビ見てたら人心地ついてきたので読書など。
といってももう100回ぐらい読み返した「蘇る変態」。
まあやっぱり手術のところを読んでしまう。
暗記するほど読んでたような気がしたが、新たな気持ちで。
ああ、なんかこの先いいことないなと思うが頑張るしかないかと思ったり。
頑張った先に何があるかはわからないが。。。

台風

なぜ人は病気をするとブログに書きたくなるのか。
というテーマはおいといて。

1日雨。
引きこもる。
10時半起床。
サンジャポみる。
12時から修論
19時半頃まで。
わりと書けた。
夜ごはんは鍋。
NHKで血圧サージ特集。
修論終わったら健康的な生活を
送ろうかと。
障害者年金がもらえれば
もう馬車馬のように働かなくても
生きていけるのでその時間を、自炊や
運動に当てようという算段。
何歳まで働き続けなきゃいけないのかと
将来を憂えていたが想定してなかった
方向で解決できそう。
しかしやはり手術が憂鬱なことにはかわりない。。

死んでたけど生きてる

修論でここ最近は死にそうになっていたが
24時間心電図をやったら一日の中で
心臓が止まってる瞬間が発見された。
今までも度々止まってたらしい。
死にそうなんじゃなくて実際死にかけてたのか。。。
自分の察知能力に自画自賛
過度の心配性だけどほんとのチキンハート。
というわけで二度目の手術決定。
一気に鬱。
前回と同じパターンで不安爆発。
自分の精神の成長のなさ。
心理学も役に立たない。
こういうときは心理学の専門家より
看護師の方がよっぽど頼りになる。
自分が研究してることも支えにならず。
何のために研究してるんだ?と
現実逃避。
修論書く気力が全く起きない。
どうすんだこれ?
締め切りは確実に迫っているが。
音楽とテレビとラジオが精神安定剤
自分が一番つらいという被害妄想発動。
死にそうと言い続けて今も生きてるので
まあなんとかなるだろう。
エビデンスはないが。。。
今回の経験で少しは成長するかな。

書く期間がたてばたつほど書きたいことは増えてゆき、余計書くことのハードルが上がり書かなくなる→書きたいことが積もるのスパイラル。
これが先延ばしグセの基本型。
3○年培われてきた先延ばしグセが一部直ってきた(気がする)のでその勢いにのって、大雑把に書き記す。
●6月
原付の免許をとった。
星野源のライブへ行った(禁断の地方チケットへてを出した)。
●7月
人生最後(?)の学生の夏休み。
修論をやらなければならないので解放感0。
学校に行く途中暑くて吐きそうになった。
修論の実験開始。
新しいこと始めるときの常で憂鬱感MAX。
知らない人複数人と話すことに疲れた。
●8月
暑かったのか涼しかったのかよくわからない。
記録的に関東では雨が続いた(とニュース)。
記憶としては暑い日もあった。
プールに行かなかったので夏感が薄い。
非日常としては演劇を見に行った1日。
あとはバイトと修論関係。
学校に行く道の徒歩と荷物の重さにうんざり。
●9月
夏の終りを感じる切なさはなし。
気づいたら涼しい。
修論の憂鬱さもあと三ヶ月の辛抱。
実験は終わったがこの先どうなるか闇の中。
実験は有意義だった(と思いたい)。
万が一修論間に合わず卒業できなかったら
留年となるが払う学費は今年度分までしかない。
このハラハラ感。
心臓が痛い。
こんな不安なこと今まであったっけ?と思うが
働いてるときは毎日こんな気分だったっけ?
朝起きた瞬間絶望みたいな。。。
今の心境はまた違うが。
絶望ではないが不安みたいな。
このハラハラ感がなくなっとらまた虚無がくるのだろうか。
どっちがいいかっていったらハラハラしてる方が
充実してるのかな。
いやそれは錯覚か。
三ヶ月後どうなってるか全く想像できない。
まあどうにかなってるだろう。
という9月の中旬の深夜。