生活の記録

中年の危機中。永遠のモラトリアム。日々模索中。栄養は酒。人生のテーマは自由。友達は本とラジオとテレビ。日常の記録を残したい。

手術記録

●手術前日
前の日は昼に修論をやりつつ
夜猛烈に荷造りしたくないと思いながら
開始。
夜ご飯は冷たいそばととうふと
天ぷら。
最後の晩餐。
前の手術の時は手術前も酒をやめたが
今回はよいと言われたので普通に
酒。
荷造りは修論関係の荷物が終わってないが
嫌すぎるので当日の朝やることにした。

●手術当日
6時半起床
今回は前のに比べ軽いと言われていたし
同じ手術をした人のブログでもあんまり
大変そうじゃなかったのでそんなに重々しい
気持ちではなかった。
荷造り。
大量の本。
バス停で待ってると先に待ってた
おじさんがタクシー止めて一緒に
駅までおごってくれた。。。
ラッシュの中スーツケースとリュックで
平日朝から浮かれた旅行者のよう。

9時40分頃病院着。
前日から上京してる両親と合流。
入院部屋へ案内される。
二回目なので気楽と言えば気楽。
荷物を収納したりしてラウンジで待機。
何時から手術かはっきりせず暇なので修論に集中。
医者の前より全然簡単という言葉を信じ
緊張なし。
二時頃になると言われたが15時15分からとなった。
お迎えが来て車イスで手術室まで。
前はストレッチャー移動だった。
別に普通に歩いて行けるが。。。
手術室前まで来たら急に怖くなった。
死刑台のエレベーター
CDがかけられる手術部屋は使われてるとのことで
CDかけられない方の部屋で。
入室。
雰囲気怖すぎ。
手術台にステップ台で登って仰向け。
怖すぎ。
持ち込んだMP3の操作を助手(?)の人に説明。
主治医が、今日体調悪いので違う先生にやってもらう、と初対面の女医さん。。。
コンビニバイトのシフト交替かよ。

何の音楽?と聞かれて、星野源、と言ったら
うちの病院に星野源そっくりな医者いるよ、と。
ホームページでチェックしてたので写真で
似てるなあと思ってた。
一目みたい。
今日は?ときくと
いないとのこと。
残念。

でおもむろに造影剤の点滴。
痛い。
そして顔に台がおかれ布で覆われる。
前回は全身麻酔だったので記憶が途切れるが
恐怖心マックス。
ドラマでも顔を布で覆ってる手術見たことないし。
目の前が青い布。。。
看護師さんが手を握ってくれる。
そして局部麻酔の注射。
これが痛すぎて騒いでしまった。。。
その後も痛くはないが感覚が気持ち悪かったり
脈を早められて冷や汗かくし
いきなり右胸が痛くなるし地獄すぎた。
そして私が子供のようにいちいちわめくので
ずっと看護師さんの手を握って励まされ。。。


そろそろ終わるかな、というところで
痛みだしてまたさわいだら、
先生が、麻酔切れてきたかな、とつぶやく。
まじで怖い!
麻酔注射の追加。
痛い!
傷を縫って終了。
満身創痍で車イスに自力でのる。


続く。。。

日記

人間というものは病気になると日記を書きたくなったり過去を振り返りたくなるもの(byゲーテ)←嘘だけど

あいかわらず崖っぷちのような気持ちで修論を書き続ける。
何のために書いてるのかさっぱりわからない。
卒業のためににしてはストレスがでかすぎる。
文章かくのがこんなに苦行だとは。
なのにまた誰にも望まれてないのに文章を書いてる。
なんなんだ

去年から今年の年末年始、風邪で寝込んでラジオを垂れ流してたときにいまだに覚えている衝撃的だった言葉。
「卒論を書いていて大変です。」というリスナーからのハガキ(メール?)にアナウンサーが「でも卒論って、読むの教授の一人か二人ぐらいですよね。」。。。
この言葉がいまだに忘れられない。
人生で一番本気だして死ぬ気で書いて、読むのはせいぜい一人、多くても三人。
このブログの読者だってよにんはいるよね?(希望的観測)
誰のために何のために書いてるのか迷走中。
小学一年の時、作文を教室にはられて以来、文章には少し自信があったのだがそんなわずかな自尊心もあの世に飛んどくぐらい苦行。
一文字一文字が後世のために木に彫り記すぐらい重い。
三人しか読まんのに。。。

と文章書くことに関しては昨今恐怖症に近いぐらいだが、過去の自分の日記を読んでみると、わりと面白い。
こんなこと考えたのかとかこんなことあったのかとか。
出来事とか環境的にはいろいろ変化があったなあと。
心はあんまり変わってない、相変わらずだが。
一年後にこの日記を読む頃にはどうなってるだろうか。。。

秋晴れ

近年まれにみる引きこもり期間。
最後に社会に労働で接触したのが先週の土曜バイト。
今週の月曜に学校の図書館。大量の本を返却&貸し出しでキャリーバックで移動。
人に会って話す気になれなかったので図書館のみによってそそくさと帰る。
昼に家を出て15時頃家に帰るという感覚が不思議な感じ。
労働してる頃だったら明るい時間に変えれるだけで幸せだったが、学生になると手持ちぶさたな感じで、テレアポで時間を埋めていた。
そんなテレアポもしばし行ってない。。。

昨日は一日中家に引きこもり修論
今日も修論
ページ数のことで疑問があり、ラインで同級生にでも聞けばよいがどうにも億劫で教務課へ電話。
枚数上はすでにほぼ達していることがわかった。
通常の精神状態であればそこで安心するものだが、もう無理だろうとなかば留年の方に気持ちがいっていたので、半端に間に合う可能性が高くなると、なんとしても、絶対という気持ちが出てきてしまう。
そこから案の定というか焦りと完璧主義がでてきてしまい(普段はいいかげん)集中。
だんだん気持ちが暗くなり吐き気がしてきたので気分転換に近所を散歩。

世の中は秋だった。。。
数年前の手術のあとリハビリをかねて毎日散歩した道。
とか懐古的になる。
やたら老人と親子が目につく。
死んだような気持ちでフラフラ歩いた。
帰宅。
再度パソコンへ。
集中してたらまたどんどん気持ちが暗くなり吐き気。
この世に自分しかいないような感覚。
心配になって、心臓、吐き気、でスマホで検索したら心筋梗塞とか。
いや、それはないなと冷静になる。
明らかに精神の問題。
修論で書いてるからわかるよ。
鬱的思考のループ。
気が狂いそうなので修論をやめて夜ごはんを買いに
コンビニで。
こういう日に限って年に一度(?)の棚卸しで品薄。
普段の店員のおばちゃんやアジア人はおらず本部から派遣されたような店員がレジに。
気分がすさんだ。。。

テレビを見ながらごはん。
ごはんというかうどん。
うどんぐらいしか胃に入る気がしない。
という割には食べて○んで(一応医者の許可済)テレビ見てたら人心地ついてきたので読書など。
といってももう100回ぐらい読み返した「蘇る変態」。
まあやっぱり手術のところを読んでしまう。
暗記するほど読んでたような気がしたが、新たな気持ちで。
ああ、なんかこの先いいことないなと思うが頑張るしかないかと思ったり。
頑張った先に何があるかはわからないが。。。

台風

なぜ人は病気をするとブログに書きたくなるのか。
というテーマはおいといて。

1日雨。
引きこもる。
10時半起床。
サンジャポみる。
12時から修論
19時半頃まで。
わりと書けた。
夜ごはんは鍋。
NHKで血圧サージ特集。
修論終わったら健康的な生活を
送ろうかと。
障害者年金がもらえれば
もう馬車馬のように働かなくても
生きていけるのでその時間を、自炊や
運動に当てようという算段。
何歳まで働き続けなきゃいけないのかと
将来を憂えていたが想定してなかった
方向で解決できそう。
しかしやはり手術が憂鬱なことにはかわりない。。

死んでたけど生きてる

修論でここ最近は死にそうになっていたが
24時間心電図をやったら一日の中で
心臓が止まってる瞬間が発見された。
今までも度々止まってたらしい。
死にそうなんじゃなくて実際死にかけてたのか。。。
自分の察知能力に自画自賛
過度の心配性だけどほんとのチキンハート。
というわけで二度目の手術決定。
一気に鬱。
前回と同じパターンで不安爆発。
自分の精神の成長のなさ。
心理学も役に立たない。
こういうときは心理学の専門家より
看護師の方がよっぽど頼りになる。
自分が研究してることも支えにならず。
何のために研究してるんだ?と
現実逃避。
修論書く気力が全く起きない。
どうすんだこれ?
締め切りは確実に迫っているが。
音楽とテレビとラジオが精神安定剤
自分が一番つらいという被害妄想発動。
死にそうと言い続けて今も生きてるので
まあなんとかなるだろう。
エビデンスはないが。。。
今回の経験で少しは成長するかな。

書く期間がたてばたつほど書きたいことは増えてゆき、余計書くことのハードルが上がり書かなくなる→書きたいことが積もるのスパイラル。
これが先延ばしグセの基本型。
3○年培われてきた先延ばしグセが一部直ってきた(気がする)のでその勢いにのって、大雑把に書き記す。
●6月
原付の免許をとった。
星野源のライブへ行った(禁断の地方チケットへてを出した)。
●7月
人生最後(?)の学生の夏休み。
修論をやらなければならないので解放感0。
学校に行く途中暑くて吐きそうになった。
修論の実験開始。
新しいこと始めるときの常で憂鬱感MAX。
知らない人複数人と話すことに疲れた。
●8月
暑かったのか涼しかったのかよくわからない。
記録的に関東では雨が続いた(とニュース)。
記憶としては暑い日もあった。
プールに行かなかったので夏感が薄い。
非日常としては演劇を見に行った1日。
あとはバイトと修論関係。
学校に行く道の徒歩と荷物の重さにうんざり。
●9月
夏の終りを感じる切なさはなし。
気づいたら涼しい。
修論の憂鬱さもあと三ヶ月の辛抱。
実験は終わったがこの先どうなるか闇の中。
実験は有意義だった(と思いたい)。
万が一修論間に合わず卒業できなかったら
留年となるが払う学費は今年度分までしかない。
このハラハラ感。
心臓が痛い。
こんな不安なこと今まであったっけ?と思うが
働いてるときは毎日こんな気分だったっけ?
朝起きた瞬間絶望みたいな。。。
今の心境はまた違うが。
絶望ではないが不安みたいな。
このハラハラ感がなくなっとらまた虚無がくるのだろうか。
どっちがいいかっていったらハラハラしてる方が
充実してるのかな。
いやそれは錯覚か。
三ヶ月後どうなってるか全く想像できない。
まあどうにかなってるだろう。
という9月の中旬の深夜。

思考記録と思考整理

●頭の中と行動が最近混乱(元々だけど最近特に)してるので記録と整理
※この日記って状況と気持ち両方書いてて、それがなんとなく書く億劫さにつながって、元々のブログを始めた理由は生活記録だったので、億劫で放置するんだったら、目的果たすために純粋に生活記録に使えば良いと思って、だったらノートに書くような日記でも
良いんだけどペンもってノートに書くこういがめんどくさくてそれも続かないので、やっぱりスマホで書く気楽さ、人に読んでもらうことを意識するって持続するに当たっての重要な要素だと思い、事実をつらつら書くだけの日記でも良いので後の自分記憶に残すためと頭を整理するためにまめにここに記そうと決意新たにした次第。
そして人に読ませるために文章校正するのも、ここに書くことを億劫にする要因の一つだったので文章校正もしないことにする。
しかしこういう自分のことダラダラ綴った校正なし(してる人もいるかもしれないがしてない風)の文章って、自分は読みづらくてあまり好きではない。自分の書いたものは文章わかりづらくても自分なので理解できるが、読みづらい文章わざわざ公開するなと思ったり。じゃあ読まなきゃいいんだけど。
ただでさえ少ない読者がこの垂れ流し文章でますます減ったらいやだけど、だらだら文法考えず適当に文章書くのって気持ちいいな。と今気づいた。
のでとりあえず上記の目的を第一と考えてしばらく継続してみよう。それでも気が変わるか飽きるかかもだが。。。

●近況
五月末は修論の構想発表。
元々話ながら考えることが苦手なので公の人目のあるとこで考えながら支離滅裂になり目もあてられないのだが修論の場合自分のやりたいテーマについて自分より詳しくない教授や生徒多目なので質問にも変に開き直って普通に話せた。これがまた、そのテーマに詳しい人がいっぱいいる場だったら自信のなさ&自己意識で質問されても質問の意味もとれず支離滅裂な答えをしたことであろう。
たかが構想発表とはいえ(これ言ったら自分の人生でやってるほとんどのことがたかが~、と言えてしまうが)準備が大変で休みの日に教授のオフィスに行ってマンツーマンで指導受けたり。そのあと虚脱感のまま電車のり帰り微妙にまだ夕方だったので数年前にたまたま食べてすごくおいしかったソフトクリームを食べに某駅まで行ったり。二回目のソフトクリームはそこまでの感動はなかった。
とかそもそも論文の書き方がわからないので形にするまでに無駄に先行研究読みまくったり、Ciniiの公開論文がいきなり一気に減って焦ったり、学生課に留年した場合の学費聞きに行って事務の人にまだ5月ですよ、と励まされたり。
修論 終わらない、大学院 鬱、教授 怖い、でスマホ検索したり。
構想発表後に教授に頑張ったねと言われたので、親にも言われた記憶のない言葉で感動したり。
話は脱線するが親に幼少期ほめられた記憶がほとんどないというのはなかなかなトラウマなんだと最近気づいた。自尊心の低下。
しかしそういえば人生に一度だけお母さんに頑張ったね、と言われた記憶があって 、つい数年前の手術の次の日のお見舞いで。まあ、手術中、自分は意識ないから頑張りようもなく、頑張ったのは医者たちなのだが。
そんな感じで、数少ない頑張ったね、と言われたことをいちいち強烈に覚えてる自分の精神は大丈夫なのか。。。
ついでなのでお父さんにほめられた記憶をたどってみたが、一個もない!
算数わかんなくて怒られて泣きながら教えてもらった記憶が。。。
中高ではそこそこの成績、大学もそこそこのとこ合格したが、その間一度も勉強のこと含め一切ほめられたことなし。
逆に家にいつもいたら(友達少ないし田舎なので行きたいとこもない、ジャスコもない、本屋も図書館も小さくて文化的雰囲気ゼロ、道路はいっぱいあった)外で遊べと言われるしまつ。
て、過去に遡りすぎた。。。
つまり、それだけほめられ体験ないのでこの歳で稀に人にほめられると心内で狂喜乱舞している。
今でこそほめる教育はやってるけどね。
いや、むしろ普通であれば子を誉める立場にいる年齢なのになんなんだ、自分が誉められたことを記録に残してる。。。
で、話は戻って、構想発表はとにかく終わって、実験に取りかからなければいけない段階に入っているが全く進んでいない今。

時は今から約二週間前に戻り、うすうす星野源のライブ近づいてきたなと頭の隅で認識。
逃げ恥フィーバーにより星野源熱は下降気味だったもののダメ元で申し込んだら当たってしまい(しかも地方)、ライブで地方狙いしだしたら全国コンサート巡りしてそれに人生かけてるジャニオタとかわらんからやってはいけないと自分に禁じていたが今回どうせこの状況じゃ地方も当たらんだろうと、適当に応募した三月か四月頃。
そしたら当たってしまい、金ないしめんどくさいなと思いつつ やはり心のどこかではうれしい。
恋ダンス完コピしてるし。
とぼんやり思ってたら六月になり今回のライブは写真つき身分証が必要と。いやそれもうっすら知っていて2ちゃんで前回写真つき身分証なくてライブいけない、とかすでに騒がれてて。
何とか免許とれば半日で 写真つき身分証つくれるよとか2ちゃんでみて、そこまでするか(笑)となかばあきれながら傍観してた。今年の年末ごろ。(そのライブは申し込んだが案の定はずれた)。
で六月になりそろそろ写真つき身分証になるものとしてマイナンバーカードでもつくろうかと区役所に電話したら作るのに一ヶ月以上かかると
その頃にはライブ終わってるし。
なら金かかるけど、パスポートつくろう、今は貧乏だけどあと五年後ぐらいにはアジアぐらいなら行けるくらいの懐具合になってるかもすれないしと(約7年前タイに行ったとき作ったパスポートはケチって五年用でつくったら二年前に期限きれてた)パスポート申請について調べてら戸籍抄本取り寄せたりで10日はかかると判明。こりゃ間に合うかもしれないし間に合わないかもしれないギリギリのライン。
だんだん行くのが面倒くさくなり行くのやめようかなモードに入ったが、しかしネットで調べると小型特殊免許が簡単にとれて写真つき身分証も当日作れると。
これが年末に2ちゃんでみたやつか。
でこれなら取れるなと思い本屋でテキスト買い勉強を始めた先週末。
バカでもとれる(ネット情報)とあったのに、テキスト読んでも全然頭に入ってこない(ちなみに小型特殊免許の試験内容は原付とほぼ同じらしいので原付のテキストで勉強した)。
これ、大学とか大学院の試験より難しくない?なぜDQNが続々とうかり道路でブンブンならせているの??
しかも追い討ちをかけるように学校のレポートラッシュが続き、もはやライブ行きながら、なんならライブ中もレポートやらないと間に合わない量の宿題。
一気に脳が爆発→フリーズ→無気力になり小型特殊免許取得及びライブは諦めたのが先週土曜日。
が土曜の深夜にオードリーのオールナイトニッポン聞いてたら星野源の番宣が入り、ライブに行けないショックで心臓が痛くなったり。
もうとにかくライブは行けないと腹に決めレポート課題にいそしむ日曜日の昼。
で、夕方バイト行く道中で一人追悼ライブで星野源の曲聴いてたらここ数年ぶりの楽しさとか感動の感情が爆発。→ライブ行くことを決意
月曜は死ぬ気で学校の宿題やり今日は朝から免許とるための塾(そんなものがこの世にあるとは知らなかったが同級生に教えてもらった)に行く。
→明日は朝5時起きで塾→免許の試験→夜授業(自分発表)という予定。

何をやるにも後を憂える性格なので免許とるてライブ行けたとしても、ライブが楽しすぎたあとの虚脱が今から憂鬱(笑)ライブのあとの虚しさはさんざんここに書いてるが。
今回はライブに行くために馬車馬のように動いたので(自業自得)ライブ後の虚脱感がより大きいのではと。
そして本来一番やるべき修論が進んでないという。
自分が今一番やるべきことを数日考えて、修論という結論が出たが(考えるまでもない)、この機を逃したら次いつ行けるんだろう、そして人は何のために生きているんだろう、人間の意味、地球の存在、宇宙について一分間考えた結果、ライブに行くという結論になった。

しかしもうとっくに人のために生きるべき年齢に(育児日記が好きでいくつか読んでる他このことについてはいろいろ)自分はこんなことしてていいのか、永遠のモラトリアムのまま年老いていくことは可能なのか、後悔しないか、虚しくないのか(今は虚しい)、では人のためになる仕事をすればこの虚しさはなくなるのか、なくなったとして自己満足ではないか、と考えながら明日にそなえとりあえず寝ます。