生活の記録

中年の危機中。永遠のモラトリアム。日々模索中。栄養は酒。人生のテーマは自由。友達は本とラジオとテレビ。日常の記録を残したい。

台風

なぜ人は病気をするとブログに書きたくなるのか。
というテーマはおいといて。

1日雨。
引きこもる。
10時半起床。
サンジャポみる。
12時から修論
19時半頃まで。
わりと書けた。
夜ごはんは鍋。
NHKで血圧サージ特集。
修論終わったら健康的な生活を
送ろうかと。
障害者年金がもらえれば
もう馬車馬のように働かなくても
生きていけるのでその時間を、自炊や
運動に当てようという算段。
何歳まで働き続けなきゃいけないのかと
将来を憂えていたが想定してなかった
方向で解決できそう。
しかしやはり手術が憂鬱なことにはかわりない。。

死んでたけど生きてる

修論でここ最近は死にそうになっていたが
24時間心電図をやったら一日の中で
心臓が止まってる瞬間が発見された。
今までも度々止まってたらしい。
死にそうなんじゃなくて実際死にかけてたのか。。。
自分の察知能力に自画自賛
過度の心配性だけどほんとのチキンハート。
というわけで二度目の手術決定。
一気に鬱。
前回と同じパターンで不安爆発。
自分の精神の成長のなさ。
心理学も役に立たない。
こういうときは心理学の専門家より
看護師の方がよっぽど頼りになる。
自分が研究してることも支えにならず。
何のために研究してるんだ?と
現実逃避。
修論書く気力が全く起きない。
どうすんだこれ?
締め切りは確実に迫っているが。
音楽とテレビとラジオが精神安定剤
自分が一番つらいという被害妄想発動。
死にそうと言い続けて今も生きてるので
まあなんとかなるだろう。
エビデンスはないが。。。
今回の経験で少しは成長するかな。

書く期間がたてばたつほど書きたいことは増えてゆき、余計書くことのハードルが上がり書かなくなる→書きたいことが積もるのスパイラル。
これが先延ばしグセの基本型。
3○年培われてきた先延ばしグセが一部直ってきた(気がする)のでその勢いにのって、大雑把に書き記す。
●6月
原付の免許をとった。
星野源のライブへ行った(禁断の地方チケットへてを出した)。
●7月
人生最後(?)の学生の夏休み。
修論をやらなければならないので解放感0。
学校に行く途中暑くて吐きそうになった。
修論の実験開始。
新しいこと始めるときの常で憂鬱感MAX。
知らない人複数人と話すことに疲れた。
●8月
暑かったのか涼しかったのかよくわからない。
記録的に関東では雨が続いた(とニュース)。
記憶としては暑い日もあった。
プールに行かなかったので夏感が薄い。
非日常としては演劇を見に行った1日。
あとはバイトと修論関係。
学校に行く道の徒歩と荷物の重さにうんざり。
●9月
夏の終りを感じる切なさはなし。
気づいたら涼しい。
修論の憂鬱さもあと三ヶ月の辛抱。
実験は終わったがこの先どうなるか闇の中。
実験は有意義だった(と思いたい)。
万が一修論間に合わず卒業できなかったら
留年となるが払う学費は今年度分までしかない。
このハラハラ感。
心臓が痛い。
こんな不安なこと今まであったっけ?と思うが
働いてるときは毎日こんな気分だったっけ?
朝起きた瞬間絶望みたいな。。。
今の心境はまた違うが。
絶望ではないが不安みたいな。
このハラハラ感がなくなっとらまた虚無がくるのだろうか。
どっちがいいかっていったらハラハラしてる方が
充実してるのかな。
いやそれは錯覚か。
三ヶ月後どうなってるか全く想像できない。
まあどうにかなってるだろう。
という9月の中旬の深夜。

思考記録と思考整理

●頭の中と行動が最近混乱(元々だけど最近特に)してるので記録と整理
※この日記って状況と気持ち両方書いてて、それがなんとなく書く億劫さにつながって、元々のブログを始めた理由は生活記録だったので、億劫で放置するんだったら、目的果たすために純粋に生活記録に使えば良いと思って、だったらノートに書くような日記でも
良いんだけどペンもってノートに書くこういがめんどくさくてそれも続かないので、やっぱりスマホで書く気楽さ、人に読んでもらうことを意識するって持続するに当たっての重要な要素だと思い、事実をつらつら書くだけの日記でも良いので後の自分記憶に残すためと頭を整理するためにまめにここに記そうと決意新たにした次第。
そして人に読ませるために文章校正するのも、ここに書くことを億劫にする要因の一つだったので文章校正もしないことにする。
しかしこういう自分のことダラダラ綴った校正なし(してる人もいるかもしれないがしてない風)の文章って、自分は読みづらくてあまり好きではない。自分の書いたものは文章わかりづらくても自分なので理解できるが、読みづらい文章わざわざ公開するなと思ったり。じゃあ読まなきゃいいんだけど。
ただでさえ少ない読者がこの垂れ流し文章でますます減ったらいやだけど、だらだら文法考えず適当に文章書くのって気持ちいいな。と今気づいた。
のでとりあえず上記の目的を第一と考えてしばらく継続してみよう。それでも気が変わるか飽きるかかもだが。。。

●近況
五月末は修論の構想発表。
元々話ながら考えることが苦手なので公の人目のあるとこで考えながら支離滅裂になり目もあてられないのだが修論の場合自分のやりたいテーマについて自分より詳しくない教授や生徒多目なので質問にも変に開き直って普通に話せた。これがまた、そのテーマに詳しい人がいっぱいいる場だったら自信のなさ&自己意識で質問されても質問の意味もとれず支離滅裂な答えをしたことであろう。
たかが構想発表とはいえ(これ言ったら自分の人生でやってるほとんどのことがたかが~、と言えてしまうが)準備が大変で休みの日に教授のオフィスに行ってマンツーマンで指導受けたり。そのあと虚脱感のまま電車のり帰り微妙にまだ夕方だったので数年前にたまたま食べてすごくおいしかったソフトクリームを食べに某駅まで行ったり。二回目のソフトクリームはそこまでの感動はなかった。
とかそもそも論文の書き方がわからないので形にするまでに無駄に先行研究読みまくったり、Ciniiの公開論文がいきなり一気に減って焦ったり、学生課に留年した場合の学費聞きに行って事務の人にまだ5月ですよ、と励まされたり。
修論 終わらない、大学院 鬱、教授 怖い、でスマホ検索したり。
構想発表後に教授に頑張ったねと言われたので、親にも言われた記憶のない言葉で感動したり。
話は脱線するが親に幼少期ほめられた記憶がほとんどないというのはなかなかなトラウマなんだと最近気づいた。自尊心の低下。
しかしそういえば人生に一度だけお母さんに頑張ったね、と言われた記憶があって 、つい数年前の手術の次の日のお見舞いで。まあ、手術中、自分は意識ないから頑張りようもなく、頑張ったのは医者たちなのだが。
そんな感じで、数少ない頑張ったね、と言われたことをいちいち強烈に覚えてる自分の精神は大丈夫なのか。。。
ついでなのでお父さんにほめられた記憶をたどってみたが、一個もない!
算数わかんなくて怒られて泣きながら教えてもらった記憶が。。。
中高ではそこそこの成績、大学もそこそこのとこ合格したが、その間一度も勉強のこと含め一切ほめられたことなし。
逆に家にいつもいたら(友達少ないし田舎なので行きたいとこもない、ジャスコもない、本屋も図書館も小さくて文化的雰囲気ゼロ、道路はいっぱいあった)外で遊べと言われるしまつ。
て、過去に遡りすぎた。。。
つまり、それだけほめられ体験ないのでこの歳で稀に人にほめられると心内で狂喜乱舞している。
今でこそほめる教育はやってるけどね。
いや、むしろ普通であれば子を誉める立場にいる年齢なのになんなんだ、自分が誉められたことを記録に残してる。。。
で、話は戻って、構想発表はとにかく終わって、実験に取りかからなければいけない段階に入っているが全く進んでいない今。

時は今から約二週間前に戻り、うすうす星野源のライブ近づいてきたなと頭の隅で認識。
逃げ恥フィーバーにより星野源熱は下降気味だったもののダメ元で申し込んだら当たってしまい(しかも地方)、ライブで地方狙いしだしたら全国コンサート巡りしてそれに人生かけてるジャニオタとかわらんからやってはいけないと自分に禁じていたが今回どうせこの状況じゃ地方も当たらんだろうと、適当に応募した三月か四月頃。
そしたら当たってしまい、金ないしめんどくさいなと思いつつ やはり心のどこかではうれしい。
恋ダンス完コピしてるし。
とぼんやり思ってたら六月になり今回のライブは写真つき身分証が必要と。いやそれもうっすら知っていて2ちゃんで前回写真つき身分証なくてライブいけない、とかすでに騒がれてて。
何とか免許とれば半日で 写真つき身分証つくれるよとか2ちゃんでみて、そこまでするか(笑)となかばあきれながら傍観してた。今年の年末ごろ。(そのライブは申し込んだが案の定はずれた)。
で六月になりそろそろ写真つき身分証になるものとしてマイナンバーカードでもつくろうかと区役所に電話したら作るのに一ヶ月以上かかると
その頃にはライブ終わってるし。
なら金かかるけど、パスポートつくろう、今は貧乏だけどあと五年後ぐらいにはアジアぐらいなら行けるくらいの懐具合になってるかもすれないしと(約7年前タイに行ったとき作ったパスポートはケチって五年用でつくったら二年前に期限きれてた)パスポート申請について調べてら戸籍抄本取り寄せたりで10日はかかると判明。こりゃ間に合うかもしれないし間に合わないかもしれないギリギリのライン。
だんだん行くのが面倒くさくなり行くのやめようかなモードに入ったが、しかしネットで調べると小型特殊免許が簡単にとれて写真つき身分証も当日作れると。
これが年末に2ちゃんでみたやつか。
でこれなら取れるなと思い本屋でテキスト買い勉強を始めた先週末。
バカでもとれる(ネット情報)とあったのに、テキスト読んでも全然頭に入ってこない(ちなみに小型特殊免許の試験内容は原付とほぼ同じらしいので原付のテキストで勉強した)。
これ、大学とか大学院の試験より難しくない?なぜDQNが続々とうかり道路でブンブンならせているの??
しかも追い討ちをかけるように学校のレポートラッシュが続き、もはやライブ行きながら、なんならライブ中もレポートやらないと間に合わない量の宿題。
一気に脳が爆発→フリーズ→無気力になり小型特殊免許取得及びライブは諦めたのが先週土曜日。
が土曜の深夜にオードリーのオールナイトニッポン聞いてたら星野源の番宣が入り、ライブに行けないショックで心臓が痛くなったり。
もうとにかくライブは行けないと腹に決めレポート課題にいそしむ日曜日の昼。
で、夕方バイト行く道中で一人追悼ライブで星野源の曲聴いてたらここ数年ぶりの楽しさとか感動の感情が爆発。→ライブ行くことを決意
月曜は死ぬ気で学校の宿題やり今日は朝から免許とるための塾(そんなものがこの世にあるとは知らなかったが同級生に教えてもらった)に行く。
→明日は朝5時起きで塾→免許の試験→夜授業(自分発表)という予定。

何をやるにも後を憂える性格なので免許とるてライブ行けたとしても、ライブが楽しすぎたあとの虚脱が今から憂鬱(笑)ライブのあとの虚しさはさんざんここに書いてるが。
今回はライブに行くために馬車馬のように動いたので(自業自得)ライブ後の虚脱感がより大きいのではと。
そして本来一番やるべき修論が進んでないという。
自分が今一番やるべきことを数日考えて、修論という結論が出たが(考えるまでもない)、この機を逃したら次いつ行けるんだろう、そして人は何のために生きているんだろう、人間の意味、地球の存在、宇宙について一分間考えた結果、ライブに行くという結論になった。

しかしもうとっくに人のために生きるべき年齢に(育児日記が好きでいくつか読んでる他このことについてはいろいろ)自分はこんなことしてていいのか、永遠のモラトリアムのまま年老いていくことは可能なのか、後悔しないか、虚しくないのか(今は虚しい)、では人のためになる仕事をすればこの虚しさはなくなるのか、なくなったとして自己満足ではないか、と考えながら明日にそなえとりあえず寝ます。

修士一年終了
慌ただしく常に何かに追いたてられてる感。あっという間だった。
テレアポで精神の平衡を保って何とか一年過ごした。健全な世界にいると健全でない世界も持ってないと精神が保てないことがわかった。
そういう意味で表向き健全で成り立っている小学校は週一の実習でさえつらく、自分が何に向いてないか、何が苦手が認識するという意味ではよい経験だった。
あと毎回のレポート課題で文章かくのが嫌いになった。

・バイト
何だかんだで適当に始めたテレアポ始めて一年過ぎた。しゃべり方と声変だし押しも弱いので絶対向いてないと思いきや謎の適正。
まともな人はどんどん辞めてく職場に居座っている。居心地良すぎて。。。
4月からは平行して勉強している専門分野関係のバイトもする予定。破格の時給(当社比)。続けられるといいのだが。。。

恋ダンス披露
2月は恋ダンスの練習に忙殺された。
おかげで完コピできたがグループでものを成し遂げる難しさを痛感。
人に披露するために歌詞(替え歌にした)とか考えるのは楽しかったけど。
長年くすぶっていたダンス熱は昇華された。
あとはライブで踊って成仏しよう。

修論
ついに取りかからないといけないが論文というものをどういう手順で書いてよいかわからず焦り。
また不安で動悸、不眠が。。。
そういう不適応な認知を修正する研究をテーマにするつもりなのだが。。。
書き終わってる自分が全く想像できない。といいつつ今までの人生経験と自分の性格上、死にそうになりながらも終わらせるんだろう、と予測。

学ばせていただく

またしばし放置してたので近況報告や思考記録など書きたいところだが今日もやもやすることがあったので吐き出し(外在化)。

自分の通っている学校は実習があり1つは外(病院とか学校とか福祉施設とか)で行うもの、もう1つは学内でやるもの。
で今回もやもやしてるのは学内のもの。
学内の実習は期間は約一年間で入学した一年目の五月頃から二年次の五月まで行われる。
一応内容は伏せるがやってることはほぼ労働のようなもので都心で同内容のバイトであれば時給950円~1000円ぐらいと推定される。
一応実習なので学ばせて頂くというスタンスをとらされる(強制感)。
初めは覚えることが新鮮なので不満もないのだが、まあこの年齢で無報酬で週一の半日がつぶれるのが何ヵ月も続くと、あれ、この時間バイトした方がよくない?と思えてくる。貧乏だし。
これって一年かけて学ぶことだろうか??
膨大な学費払ってるんだから授業の時間に当ててくれた方がまだましなような。。。
と言いたいが、実習は自分から学ぶことを探す場です、と言われたらぐうかの音もでない。
内容自体は肉体労働ではないし楽といえば楽なんだがたまに理不尽に注意受けたりすると行き場のないモヤモヤが。。。
仕事でも理不尽なことは毎日起きてたが金もらってるから我慢できるって部分が大きい。
そして実習は、なんかおかしくない?と思ったことがあっても物申す場がない。
もちろん同級生同士で愚痴を陰で言うくらいはしてるが公には言えない。
いやこっちが勝手に言えない空気と思ってるだけだから空気を打ち破ればいいのか。。。とか自問自答。
黙ってりゃあと数ヵ月で終わるし自分の身の損得で考えたら黙ってた方が得なんだが。。。
モヤモヤするので衝動的にここに記す。
こういうモヤモヤって日本の社会って感じがするんだよなあ。
なんだろう。
何かに例えられそうで例えられない。

PS最近普通に使われている「させて頂く」という言葉が大嫌いだが実習のモヤモヤ感はこの言葉が発する雰囲気のようなものと共通するかもしれない。

冬(また星野源の話題多目)

昔のミクシー日記とか読んで(若い)やっぱ文章で残さないと記憶って残らないなと思い強迫的に記録せねば、と思う今日この頃、というか今。

日々忙しくて充実してる気がするけど果たして忙しい=充実してるのか?
テレアポしてる最中は脳内が暇で五分起きにヤフーニュース見ているが(星野源ニュースがいっぱい出てきて時代の変化を感じる。。。)。

学校行って新しいこと学んだり人に会うことは職業訓練に通ってた無職の日々から比べると充実してる感はあるが。学校の合間にバイトしてるので公園へ行くこともめっきりなく季節を味わえていない。無職期間に暇をもて余して散歩したりhuluで映画見てた日々が虚しかったがある意味充実してた気もする。
まあでも複数の話し相手がいる生活は良いものでこれが人生最後の学生生活かもしれず二年になったら修士論文作成であんまり学校にも行かないだろうかレポートとかは相変わらず苦痛だが残り少ない後期をかみしめたい。

そういえば最近寝覚めの絶望感がない。眠すぎて感覚がないだけかもしれないが。
この数ヶ月自分の思考の中で認知行動療法をやっており (正しくは紙に書き出すのだが面倒なので頭の中でやっている) その効果の表れかもしれない。

逃げ恥を見ている。初めの方は星野源に集中しすぎてドラマのストーリー入ってこなくて面白いから見てるのか義務感で見てるのかわからず。やっと前回から内容込みで心から面白いと思えてきた。逃げ恥論書きたいけど長くなるので略。
しかしこのブームすごいな。星野源のライブもう一生行けないのではなかろうか。。。

話は戻って自分は極度のネガティブ思考だが認知行動療法の勉強初めてから一つの出来事に対して解釈は一つでなくいっぱいあってどれか一つ正しいのではなく可能性として自分の中でいっぱいとっておく、という考え方があってこれをやっとくと大分気持ちが楽になった(当社比)。楽しく生きるための知恵と工夫。←この言葉は今月のダヴィンチの星野源(また!)の エッセイの言葉なんだけど、認知行動療法でもよく知恵と工夫という言葉が使われていてよい言葉だなあと思う。人間に生まれてきて良かったというか。
日々に流されるままに生活してれば人生は辛いこととが多いし退屈で虚しいが面白く感じて生きていけるコツがあるような気がしてきたような、でもまた嫌なことあったら打ちのめされるんだろうけど。
あと人と関わる楽しさとか。まだまだ人苦手だが。。。
これからどう変わっていくだろうか。

おちもなく終わり